行事名:平成23年狂言を楽しむ夕べ・清田
開催日時:2011年6月23日(水)18:00
開催場所:清田区民センター
開催内容:
 


狂言は、道理に合わない物言いや飾り立てた言葉を意味する
仏教用語の「狂言綺語 きょうげんきご」に由来する。
この語が、猿楽の滑稽な物まね芸を指す言葉として転用され、
やがて上述の諸芸能の名称として定着した。
一般名詞としても、滑稽な振る舞いや、冗談や嘘、人をだます
意図を持って仕組まれた行ないなどを指して狂言と言うように
なった。


清田区民センターの区民ホールは子どもたちの参加も多く
たくさんの人達が観覧していました。
学校の教科書で習っているのか、演技一つひとつに感嘆の
の子どもたち声が後ろの席から聞こえてきました。


«山本東次郎師のお話»
今の人と昔の人とは言葉にたいする考え方に違いがある。
言葉には魂がある。
何故ならば、ある言葉をかけられて、幸せになったり、悲し
くなったり、苦しくなったりと感じたりする。人の心を瞬間的
にこんなに変えてしまう力が言葉にはある。
もしかしたら言葉には魂があるんじゃないかと昔の人は考
えましたね。.
そのような瞬間的な変化だけでなくて、例えば、大変辛い
人生を歩んでいる人が、素晴らしい言葉に巡り合って、
その言葉を頼りに、その言葉にすがって、頑張って頑張っ
て成功した人がいらっしゃいます。
人生は言葉の杖だといいますよね。
また逆に、心無い人の一言が胸にささって、一生辛い想
いをした人もいます。
人生を変えてしまうんですよ言葉は。
ですから、昔の人は大変に言葉を大事にしたんですよ。
心の中で選ぶんではなくて、丁寧に的確な言葉を渡す。
相手もそうしてくださる。
今はギャアギャアと喋って、メールなんかで済ましてし
まう。そうではなく一つ一つに心を込めて。
今の人は説明をするのにたくさん喋った方がいいって
考えるよね、古い者は逆なんです。あんまりたくさん喋
ると誤解をまねく。
それよりも、心の中で選び一番的確な言葉を心を込めて
お渡しする。そんな考え方があったんですね。

狂言は、言葉でせい言葉でするという教えがある。
狂言の言葉は、絶対説明をして押し付けることはしない。
それは作者の考えていることを観客に押し付ける。
失礼になります。
そんな僭越的なことはしたくない。
だからそれは狂言では、むしろ点で言った言葉を線でつ
ないでくださるのは観客お一人お一人。
そのつなぎ方は違うかもしれないお一人お一人。
でそこに余地を残して昔の人は考えたんですね。
ですからぎりぎりの言葉ですよね。
その中の一字一句を聞きもらしていただきたくないんです。
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